SSブログ

戦争体験者のお話より [世間話的ジジ問題]

<長文です、でも、みんなに読んでほしい>

〜戦死した父の眠る場所を捜し続けた方のお話の中から〜

インタビュアーの人に答えて、そのAさんがお話をされる、という形式でした。

お父様の出兵が決まり、いよいよ見送りに。

兄が、「これで、親父とは最後なんかなあ・・・」「絶対、帰ってきてくれんと。」言いながら、去って行く列車を見送る。
こっちも見えなくなるまで手を振って、がんばってねー、言うたけど、親父の方も、戦闘帽を、もう、ちぎれんばかりに振って、あれは、こっちに、「がんばれよ〜!」という必死の思いだったんでしょうね。

まもなく、親戚を通じて、フィリピンにて戦死の知らせが来る。

知らせが来てから、3週間ほどで広報に載りましてね、
無慈悲なもんです。斯く斯く然然で・・・、たった14文字ですよ。
それから、遺骨が届いて、親父が最後はどんなふうだったかな、という思いで、
家族でね、蓋を、少〜し開けてみたんです。
中が少し見えた瞬間、
「これはいかん!」言うて、思わずみんなでまた、蓋を閉めました。
中には、箱の隅の方に、石ころと、小さい炭のようなもんが、重なって入ってるだけ、
こんなもんが、親父であるはずがない。
ゆるく結んであった布を、こんどは、蓋の上から、かたくかたく結びなおしました。
小学校一年だった私は、涙も出ませんでしたね。
悲しみと言うよりは、あのときの感情は、怒りのような気持ちでした。
普通だったら、家族が亡くなったら、葬式をあげて、ていねいに埋葬して、
そうして、残されたもんが、気持ちの整理をつけていくわけじゃないですか。
それを、そんなわけのわからんもんを、「親父だ。」言うて突き返されても、
どうにも、納得いくはずがない。
そして、「これは、親父やない、どっかで親父は生きてるんやないか。」
と、考えるようになりました。
それから、いつも、寝る頃になると、
シンとした表を、革靴の音がするとですね、
「親父が帰ってきたんじゃないか?」
と、何度も何度も飛び起き、そして遠ざかっていく靴音に、何度も何度も落胆しました。

それから、一年半たって、母親も他界する。
働き手を失った家族を支えた苦労がたたったのである。
Aさんは、学校に通いながら、地元の産業である炭を運んだり、むしろを折ったりして、駄賃をもらい、生計の足しにする。
そして、中学を出て、就職。

みんなが、学校終わってからも、家で勉学をする時間を作って、上の学校へ進級していくのに、
こっちは、生活もままならなくて、勉学どころではない、
くやしくてくやしくて仕方なかった、
戦争さえなければ、普通の子どもの暮らしが送れたのに、と、ずっと思ってて。
戦争が終わって、終戦終戦と言うけれど、
私たち家族にとっては、それからが戦争でした。



それから、だいぶん経って、Aさんは、あることがきっかけで、お父さんの亡くなった地を訪れようとするのだが、調査に調査を重ね、ようやく探し出した場所は、政府の広報の14文字の中にあったフィリピンなんかではなく、ベトナム沖だったそうだ。


********************************

さっき、ラジオをつけたまま、車を運転して帰ってきてるとき、
たまたま始まった番組であった話に聞き入ってしまい、
急いで書き留めてみました。
本当は、話の趣旨は、戦没の地を探し出す苦労などにもあったけど、
私は、Aさんの子ども時代の話が、ご本人の語りなだけに、
あまりにも衝撃的すぎて、そこのところを抜き出してみました。
自分の表現はなるべく入れず、聴きとった内容と、実際に話された表現に忠実に抜き書きしました。

小学一年といえば、うちの子どもとそんなにかわらん。
そんな子どもに、こんな思いさせるのが、戦争。
そんな子どもの残りの人生をうばうのが、戦争。
この方が、特別ひどい目にあったと思いますか?
当時のたくさんの子ども達が、同じ思い、もっと悲惨な体験をしたわけです。
私の文章では、うまく伝わらないと思いますが、
聴いてて、もう、胸が詰まって、息もできなくなりそうでした。

実際戦争したら、こうなる。
アメリカに守ってもらうから?
アメリカの若者も血を流しているから?
そんな、理由がどうあれ、
とにかく、上記の結果になるわけです。
するべきか、せざるべきかを、もし論じるなら、
「なぜするか」より、「したらどうなるか」を考えてほしい。
理由なんて、結果を前に、意味なんてないのである。
戦争も、原発も。

そういうことは、見えにくい(見えない、ではない)ところに、隠されている、巧妙に。
そこのところを、一生懸命探し出して、見ないと、と、思う。
見れば見るほど、つらいし、自分程度じゃ、とてもじゃないけど、どうしようもない、と、感じる。
でも、みんながそう思ってしまったら、本当に終わりだから。
やっぱり、たとえ微弱でも、死ぬまで声を上げ続けようと思う。
子ども達のために、そして、自分たちのために。

急いで書き上げました。
表現のおかしなところ、流してやってください。

梶栗麻紀



nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。